« 2015年12月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年2月

2016年2月22日 (月)

なぜ「大学」なのか?―特集「大学」にあたって―

締め切りまで一ヶ月を切っている中遅すぎる気もしなくもないのですが、次回の『余白のR―特集「大学」―』にあたって、なぜ特集「大学」なのか?という質問(あるいは意見)を頂いたので私なりにまとめてみることにしました。まだ応募は受け付けておりますので、これからの応募を考えていらっしゃる方は参考にして頂きたいと思います。

今、大学を考えるにあたって、近年最も注目を集めた出来事として昨年の人文社会学系学部に対する文科省通知があったことは改めて語るまでもないでしょう。それに対する反応として様々な言説が飛び交いました。

ただし、私が見る限りでは、その反応の大部分は大学に籍を置く人、それも主に教員の方からのものが大部分を占めていたと思われます(当たり前ですが)。
大学で人文系の学問を研究されている方が文科省の通知に危機感を覚えるのは当然だと思いますし、今後もアクションを取り続けて頂きたいと思います。
ただ、一方で世間の多くの人々―「大学」と「関わりのない」人々―の多くは、人文系の学問を役に立つと思っていないし、期待もしていないのだろうな、と感じてしまいます。それどころかかつて人文系学部の学生であった人々の中でさえ、人文系の学問の意義を感じている人がどれだけいるのか疑問です。

これらの問題は、大学と我々の生活があまりに遠いため起こっている問題なのではないかと思うのです。我々の多くにとって大学の学問は大学にいる間だけのものであり、大学を出てからも学問に関わり続ける人は少数派でしょう(それは大学を出てからも学問に触れ続けられるだけの余暇が我々に与えられていないことも大きな要因かもしれません)。我々の日常生活と大学はあまりにも離れすぎているのです。そしてこの点は、人文系学部をめぐる論争であまり触れられていないことだと思うのです。

以上が私の認識です。その上で、私の私的な思いもあります。私は、研究に憧れて大学院に進学しましたが、ほとんど何も出来ず中退してしまいました。つまり私は大学に未練があるのですが、一方で大学外でどうにか研究のようなことが出来ないか模索している途中でもあります。
しかし、この大学内・外という認識が実はもう古い考えなのかもしれません。学問をめぐる状況は日々変容していっています。大学外で、様々な知的活動が行われているのを私はここ数年見てきました。これからの大学の大きな課題は、どのように大学を社会に対し開いていくかだと私は思います。
そのために、では我々にとって大学とは何かを考えてみること(我々の日常生活から大学を見てみること)は、一つの重要なテーマではないかと思うのです。

走り書きなので、内容がぐちゃぐちゃな気もしますが、このような構想を持って企画趣旨とさせて頂きます。
なお、私は文系で、文系学部を念頭において書きましたが、当然ながら企画から理系学問を排除する意図はありませんことを申し添えておきます。

« 2015年12月 | トップページ | 2016年4月 »

twitter

リンク

無料ブログはココログ